函館のベイエリアから西地区方面を歩いていると、いろいろな観光スポットに遭遇します。
「北海道第一歩の地碑」
明治維新後、名実共に北海道の入口となった函館。
以前は桟橋があった場所で、北海道に訪れた人は、船から降りて
まずこの場所に第一歩を踏み出すのでそう呼ばれたそうです。
白い大きい像はクマ、その前に錨。
「開道100年」を記念して1968年(昭和43)に建立されたものです。
「ペリー会見所跡」
1854年3月、アメリカ海軍提督ペリーが箱館に入港し、この地にあった有力商人宅で
家老と会見、市中の調査や、港内測量などを行って帰っていったそうです。
「弥生小学校」(現在も近所の子が通う小学校)
明治15年4月に開校した伝統ある小学校。
明治40年6月11日~9月11日の3ヶ月間、石川啄木が代用教員を勤めていました。
現校舎は、昭和13年に竣工されたもので、函館市景観形成指定建築物にしていされています。
この小学校がある場所は、同時に、旧アメリカ領事館跡でもあり、北海道警察発祥の地でもありました。
「日本最古のコンクリート電柱」
日本最古のコンクリート電柱が、ごく普通に、
今も現役で使用されていました。
(クリックで拡大)
1923年(大正12年)の建立
底辺 47cm四方
上辺 19.5cm四方
高さ 10m
鉄筋コンクリート製の四角すい形
木柱が普通だった当時、火災が頻繁だったため、
耐火建築が盛んになり始め、この電柱もそのひとつだそうです。
気づかなければ、通り過ぎてしまうような、あちらこちらに、歴史を思わせるポイントが、
大切に保存されている、函館の町でした。
歩きながらの散策は、
小さな発見がいっぱいです
コメント
凄い電柱があるんですね。
説明の看板でもあるんですか。
知らないと通り過ぎてしまいそうですね。
在函中は、この弥生小学校を見ない日は
ありませんでした。
できれば、息子も通わせたいなぁ・・・
なんて思ったものです。
一度、選挙で入ったことがあるのですが、
歴史を感じる建物でしたよ。
でも、通っている小学生には不評でした・・
なんでも、トイレが怖いとか(笑)
そのときに、
「きっといつか、通ったことがいい思い出
になるわよ~」
と、話したのですが。
西部地区には大切にしたい物が沢山あります。
この電柱は知りませんでした!
函館って北海道の中でも歴史が
多く残っている土地なんですね~。
でもMAYUさん!
確かこの旅は「0泊3日」ですよね?
ずいぶんと色々な所を巡ってませんか!!
出発する前にルートをしっかりと
決めてあったんですね( °д°)
電柱でござる。電柱でござる。
浅野内匠頭もビックリで賞ね^^。
サブローさん
うっかり見逃しそうになりました。
現役で、ちゃんと使われてますから・・
てつこさん
昔は、遺愛幼稚園から弥生小学校へというコースが
エリートコースだったそうで・・
現代では、どこも、早く新校舎を望む時代なのに、
ここは伝統を守り続けてるんですね。
確かに、不便な所は、数々あると思いますが、
きっと誇りに思える時がくるでしょう。
私も内装が気になりました。
tomiさん
実は、ほとんど予備知識なしで出かけました。
朝、駅のパンフレットを手にして、
そこから考えて、周りました。
ひとり旅の時は、意外にいつも行き当たりばったりです。
自分の脚と、思いつき勝負です。
makoさん
アハハ・・
ありがとうございます。拾っていただいて・・
それにしても、ズボンをひきずったりする時に、
「殿中でござる」っていうのも、おもしろいですよね。
引きずるのが、「殿中でござる」じゃないのにね。
いつしか、そんな風に伝わってることが面白い。
港町には『お初』がいっぱいありますよね!!
最近の我が家の話題・・・『MAYUさん、いつ?
あそこ(●ー●ェ)つくんやろか???』
『まあ、まあ、楽しみな事・・・。』
るりるりさん
なかなか辿りつきませんね。
まだお日様が随分高いしね・・(笑)
何せ、脚が棒になるか?というくらい、
散策してますから・・
18時間以上の滞在の夕暮れになります。
あとで振り返っても、よくあれだけ歩き回ったと思います。
心配になるくらい歩かれてますね
お食事は?!・・気になっております
電柱は、昨年春に初めて知りました
タクシーの運転手さんが教えてくれたんです
支払いになって、610円だったかでちょうど10円玉
がなかったんです 運転手さん「10円はいらない
ですよ」って(゜○゜)それも初めての経験でした
ちなみに「海底列車の旅」でしたo((=゜ェ゜=))o
ちゃっきぃさん
時々、巡り会える、粋な運転手さん。
そんな時は、かならず、携帯に登録してます。(⌒▽⌒)
つぎに繋がる仕事ですよね。
海底列車の旅・・なんとロマンチック!