壁にデナリ、凝視の目あり。
チラチラ周囲を気にしています。
チラチラ周囲を気にしています。
奥からキャンディ。
屋内に篭っていますが、時々チラ見。
屋内に篭っていますが、時々チラ見。
屋内から、顔だけ出し、人待ちデナリ。
定位置に収まるララ。
今日は比較的まったりした様子のデナリでした。
(ララ、キャンディはいつも通りです)
(ララ、キャンディはいつも通りです)
静かなホッキョクグマ舎に風が吹くと、
水に浮かんだ浮き球が壁にあたり、コンと音がします。
それが、「ししおどし」の様に聞こえて、私には心地よかったです。(笑)
熱帯鳥類館の改修工事中の今は、工事車両の出入りが時々あるのですが、
じっと見ているデナリです。
今日は、私もちょっと自由研究。
先日、ヨハネスブルク動物園(南アフリカ)で亡くなったホッキョクグマ「ワン」の、
生まれた当初の事について、分かったことだけ、記しておきたいと思います。
1951年5月5日 円山動物園 開園
1963年 ホッキョクグマの飼育開始
1980年3月 世界の熊館 完成
1980年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1981年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1982年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1983年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1984年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1985年12月21日、オスの赤ちゃん誕生、ポール(父/17歳)、シロ(母/17歳)
1980年(昭和55年)からの5年間は、毎年出産していたものの、
生まれた子はいずれも、3~5日で亡くなったそう。(頭数は分からず)
1985年の時も、半分あきらめかけていたところに、
12月21日の朝、産室にセットしてあったマイクを通し、鳴き声を確認。
直ちに、担当者以外は立入禁止とし、除雪車禁止となる。
最初の一週間は、シロは、2~3日に1回、水を飲みに出てくるだけで、
じっと子供と一緒に寝ているよう。
担当者は、物音ひとつ立てないよう、細心の注意をし、
毎日、マイクを通し聞こえてくる声を聞き、
産室外にセットされた監視カメラの映像を観察。
1986年1月 こども動物園の拡張・増改築が行われる
1986年2月23日の朝(出産後64日目)
真っ白で、おとなのネコくらいの大きさの、まるでぬいぐるみのような子供が
シロの後ろについて、産室から出てくるのを、監視カメラの映像で初めて確認される。
その後、いつからかはわかりませんが、親と離され、人工哺育となる。
子供は、こども動物園の中に、新しく建てられた檻に移動、展示。
円山での愛称は、ポロ(オス)。
1986年 ヨハネスブルク動物園へ移動。
円山動物園で、初めて自然繁殖に成功したホッキョクグマ。
当時の時代背景の中、逞しく生き抜いた個体だったのだなあと思います。
ポールとシロ、その子供ポロの存在と、当時の飼育員さんたちの経験が、
現在のデナリ、ララの繁殖に繋がっているのは、間違いないことですね。
水に浮かんだ浮き球が壁にあたり、コンと音がします。
それが、「ししおどし」の様に聞こえて、私には心地よかったです。(笑)
熱帯鳥類館の改修工事中の今は、工事車両の出入りが時々あるのですが、
じっと見ているデナリです。
今日は、私もちょっと自由研究。
先日、ヨハネスブルク動物園(南アフリカ)で亡くなったホッキョクグマ「ワン」の、
生まれた当初の事について、分かったことだけ、記しておきたいと思います。
1951年5月5日 円山動物園 開園
1963年 ホッキョクグマの飼育開始
1980年3月 世界の熊館 完成
1980年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1981年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1982年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1983年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1984年 ホッキョクグマ 出産 産子死亡
1985年12月21日、オスの赤ちゃん誕生、ポール(父/17歳)、シロ(母/17歳)
1980年(昭和55年)からの5年間は、毎年出産していたものの、
生まれた子はいずれも、3~5日で亡くなったそう。(頭数は分からず)
1985年の時も、半分あきらめかけていたところに、
12月21日の朝、産室にセットしてあったマイクを通し、鳴き声を確認。
直ちに、担当者以外は立入禁止とし、除雪車禁止となる。
最初の一週間は、シロは、2~3日に1回、水を飲みに出てくるだけで、
じっと子供と一緒に寝ているよう。
担当者は、物音ひとつ立てないよう、細心の注意をし、
毎日、マイクを通し聞こえてくる声を聞き、
産室外にセットされた監視カメラの映像を観察。
1986年1月 こども動物園の拡張・増改築が行われる
1986年2月23日の朝(出産後64日目)
真っ白で、おとなのネコくらいの大きさの、まるでぬいぐるみのような子供が
シロの後ろについて、産室から出てくるのを、監視カメラの映像で初めて確認される。
その後、いつからかはわかりませんが、親と離され、人工哺育となる。
子供は、こども動物園の中に、新しく建てられた檻に移動、展示。
円山での愛称は、ポロ(オス)。
1986年 ヨハネスブルク動物園へ移動。
円山動物園で、初めて自然繁殖に成功したホッキョクグマ。
当時の時代背景の中、逞しく生き抜いた個体だったのだなあと思います。
ポールとシロ、その子供ポロの存在と、当時の飼育員さんたちの経験が、
現在のデナリ、ララの繁殖に繋がっているのは、間違いないことですね。
コメント
MAYUさんが撮ると収まってるクマたちの写真も
とても面白く魅力的です・・ʕ•ﻌ•ʔ♡
ワンくん(ポロくん)の事初めツイッターかで
知り、円山生まれとの事で驚きました。
ポロくんはホッキョクグマの素晴らしさを
アフリカの人たちに沢山伝えたんですね
よくがんばったのだなぁと胸がいっぱいになりました!
ホッキョクグマの出産飼育って本当に難しいのですね( ´;ω;`)
成功するようになったのは最近なんですね
これからも円山動物園、
他の動物園でも沢山のハッピーな歴史が
刻まれますようにʕ•ﻌ•ʔ♡ʕ•ﻌ•ʔ
しろくまらぶさん
ありがとうございます。
当時は、旭山動物園、釧路市動物園でも繁殖成功していましたが、
やはり、ホッキョクグマの繁殖は、難しいものだったと思います。
ペアの相性や、環境等、いろいろあるのでしょうね。
素晴らしい自由研究をありがとうございました。
「ポロ(ワン)が生きている!」
遠い記憶の中で、いつも愛しかった幼少のポロ、その消息を知った時、
本当に会いに行きたかったものです。
叶わない願いとなりましたが、長く生きていてくれたことは、
とても嬉しく心に刻まれた素敵な一ページとなりました。
生まれた時は、大切に見守ってもらったとの事・・・
シロお母さんの後ろに現れた玉のようなこぐま、
円山動物園で初めてのホッキョクグマの赤ちゃんです。
こぐま達がいた、こども動物園の中で、こぎれいで小さなプールもあった檻、
きっと特別であったには違いありませんが、
今ではとても考えられない事ですが、シロお母さんと離れて、
一緒に遊んだり、授乳してもらったり・・・
すぐ近い場所に居ながら叶わない!悲しい幼少期を過ごしたポロ
ララの子育てを知った後では、どうして考えても悲しくて、
シロお母さんの嘆き、ポロの泣き叫ぶ声
そんな光景が浮かぶようで・・・、胸がぐっと苦しくなってしまいます。
そんな時代をしっかり生き抜いたポロ!
ヨハネスブルクへの移動も命がけだったに違いありません、
本当に頑張り屋さんでした。
ララとデナリにまた赤ちゃんが授かったら、
その子育ては、いっそう心に響いて、
皆で優しく見守っていけることと思います。
大切な記録と記憶!
本当にありがとうございました。
Mikikoさん
知りたかったことの、半分くらいは、見つける事ができ、
私も嬉しかったです。
また何か、別な事との繋がりで、知ることが出来るかもしれません。
ヨハネスブルク動物園が、最期について、公式に発表して下さったおかげで、
知る機会を与えてもらったなと、感謝しています。
Mikikoさんにも、感謝しています。
ありがとうございました。