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円山動物園のドキドキ体験 副園長のぶらっとガイドツアーに参加 そのルートと内容


少し前の円山動物園では、ドキドキ体験メニューの多さが自慢のひとつとして、よく行われていましたが、コロナ禍によりほぼゼロの時期が続いていました。最近は少しずつ再開され、その種類も増えつつあります。最近新しく始まり、不定期で行われているガイドのひとつに、副園長のぶらっとガイドツアーがあります。所要時間が少し長く、なかなかタイミングが合わなかったりでしたが、今日はようやく参加することが出来ました。


日々暑さが増してきた今日(日曜日)は13時45分からスタート。
副園長のぶらっとガイドツアーは『副園長が動物園のこれまでの歩みや今後の動物園の役割について、1時間程度園内を周りながらお話いたします。小学生以上先着10名。1時間前より動物園センターにて整理券配布。』ということで、13時前に整理券を無事ゲット。スタート5分前(13時40分)に動物園センターに集合です。


まずは動物科学館へ入館です。


現在は、第3回海鳥展が開催されていますが、そこには触れず・・・


壁に常設されている円山動物園の歴史にふれていきます。
1951年(昭和26年)5月、札幌市円山児童遊園として開園。
左上の写真は、中俣初代園長と職員の方が写った正門の写真。三越も提供されていることがわかる正門ですね。文字は見えづらいですが『大○なお金で 上手なお買物』のように?見えます。
右上の写真は、1953年(昭和28年)4月28日の写真。年代物の車が並び、男性はスーツ、女性はスーツや着物を着用し、おしゃれして出かけているのがわかります。
当時の(全国の)動物園では、動物に芸をさせることがよくあり、それは動物はこんなことも出来るということを見せたかったという意図があったようですが、現在の動物園では行われていない所が多い。


国内で初めて繁殖し、6ヶ月以上成育したものに贈られる繁殖賞
についての記録について簡単に説明。円山動物園での最初の繁殖賞は、1968年(昭和43年)のダイアナモンキーでした。


剥製、骨格標本が並ぶコーナーでは、開園から2002年5月17日まで円山動物園で生き続けたオオワシのバーサンの剥製。


マサイキリンのタカヨ(左)とアジアゾウの花子(右)の骨格標本の間に、いつしか人も加わっていましたね。大型の骨格標本を展示している園館は限られているので、貴重な展示物といえます。


動物科学館を出た後は、隣の猛禽舎へ移動します。円山動物園で初めて誕生したシマフクロウのポッケ(2021年生まれ)の説明。今日は暑いので、口を開けて喉を大きく動かしていました。


シマフクロウの隣はオオワシ。円山動物園といえばオオワシと言われるほどの動物種。全国に円山生まれのオオワシがいるそうです。


猛禽舎から次に向かったのは、現在非公開施設(動物病院)にいるボルネオオランウータンのレンボーとレイトのところ。空気を察知したレンボーが檻際に近づき、続いてレイトもやってきました。2頭は新館が完成するまでの間ここで暮らし、父親は釧路市動物園にいる話などを簡単に説明。


手を出してきたレイトは、おやつを期待していたのかな?(担当飼育員によるボルネオオランウータンだけのガイドも、限定人数で時々行われています)


動物病院を後にして、次に向かったのはサル山。以前はコンクリートの床面だけで、夏は暑そうでしたが、改修された今は草地部分も多く、温度的にもエンリッチメントにも向上したのではという解説。

サル山の次はゾウ舎。館内入口のには、昔円山動物園にいた「花子」と「リリー」のレリーフが象られています。大きい方が花子、小さい方がリリーです。リリーが来園当初(推定1歳)の2頭だそうです。2頭は約15歳差でした。親子のような体格差があり、花子はリリーの事を可愛いく思っていただろうなあなど、レリーフがあるとイメージはしやすいですね。


アジアゾウ4頭の説明を聞きながら、館内へと進むと大きな上半身だけのゾウが現れます。これは現在円山にいるパール(メス)をモデルに作られたもの。耳の血管などリアルに作られています。耳の裏側からこの血管を狙って採血するなどの解説がありました。
ゾウ舎の館内では、ミャンマーから搬入時の映像が常時放映されていますが、その映像を見ながら、当時の裏話などを少し。


4頭はミャンマーの動物園にいたわけではなく、伐採した木材を運んだりする地域ゾウとして暮らしていた個体であり、当時ミャンマーで管理されていた証がお尻の星マークと数字です。※子どもだったニャイン(後ろ)にはありません。その他、4頭の現状や関係性などの解説も簡単にありました。
次へ続きます↓

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